ここは関西本線の関駅。
写真の列車は、私が乗ってきたワンマン2両編成のディーゼルカーです。
ここに来るまで雨が降っていましたが、今は止んでいます。
天候の幸運に恵まれ、今回はここからスタートします。
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関宿の宿場町を歩いています。
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書状集箱? これはポストですね。
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ここは関宿の出口。西の追分です。
左は大和街道、旧東海道は右手に進みます、。
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鈴鹿馬子です。
山の天気は変わりやすいのですね。
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これは転び石。
何度移動しても街道に転がってきたとの言い伝えがあります。
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旧東海道を歩いています。
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コースは国道1号線に変わりました。
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左手は山。右手には山間に田畑が広がっています。
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たくさんの山々が連なります。
広重の「坂下(阪之下)」に登場する筆捨山はどの山なんだろう。
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ここは坂下宿の手前の旧沓掛村です。
沓掛とは峠越えに際してに沓(わらじなど)を掛けて安全を祈願すること。
各所でこの地名を目にすることができます。
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沓掛の街並みには歴史を感じる建物が残っています。
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田畑の風景です。
左側に国道1号線が走っています。
青空が見えていますが、正面の山にはガスがかかっています。
山の天気が心配です。
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五十三次の杭が立っています。
ここは鈴鹿馬子唄会館の手前です。
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懐かしい姿の建物が現れました。
ここは鈴鹿峠自然の家です。
元々は昭和13年に建てられた小学校だそうです。
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坂下宿に向って緩やかな上り坂を歩いています。
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坂下宿にやって来ました。
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今は昔、本陣跡は畑になっていました。
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坂下宿を歩いて鈴鹿峠に向います。
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坂下宿を抜けると西の難所といわれた鈴鹿峠を越えます。
現代の鈴鹿峠はあっという間に歩き切ってしまう山道で、気負っていた私も少々拍子抜け。
当時はどんな山道だったのでしょうか。
坂下宿から次の土山宿までは当時の距離で二里半(約10km)。
鈴鹿峠を越えて緩やかな下り坂を歩き、田村神社の深い杜を抜けると土山宿に到着します。
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鈴鹿峠の手前に脇道があります。
東海自然歩道でもあるこの道を歩いてみましょう。
手袋をつけて山歩きスタイルで突入します。
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いきなり強烈な階段です。
階段を上るというより、這い上がる・よじ登るといった感じで登っていきます。
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山道は細いながらもしっかりしています。
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右手の階段を降りて旧東海道に出てきました。
NHKの東海道てくてく旅では、この山道を走っていました。
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更に進むと、薄暗い森の中に入って行きます。
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片山神社にやって来ました。
ここから鈴鹿峠が始まるといわれています。
右手に進みます。
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松尾芭蕉の歌碑があります。
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階段を上って行きます。
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階段を上るとお茶畑が広がる平らな道に出ました。
鈴鹿峠もここまで。あっという間の鈴鹿越えでした。
難所といわれるだけあって当時はどんな道だったのでしょうか。
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鈴鹿峠の万人講常夜燈です。
ここには休憩設備があります。
私もここで一服です。
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上の休憩場所から見下ろした国道1号線の風景です。
これから旧東海道は国道1号線に合流します。
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滋賀県に入りました。
伊勢国から近江国に入りました。
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国道1号線の434km地点です。
ずいぶんと歩いてきました。
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山中地区を歩いています。
建設中の第二名神をくぐります。
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土山町の旧東海道の標識です。
なかなか凝っていますね。
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山中の一里塚公園に到着。
これは一里塚のモニュメントでしょうか。
ここで西側から歩いてきた方にお会いしました。
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ここは間宿の猪鼻地区です。
旅篭跡の碑が残る住宅街を歩いています。
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田村神社の手前の田村川に架かる街道橋です。
地図には載っていないので新しく架けられた橋のようです。
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アングルと橋の形は違いますが、
広重の「土山」はこの橋を渡る風景が描かれています。
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田村神社の杜を進みます。
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土山宿の入口にある道の駅で休憩します。
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焼饅頭をいただきました。
今川焼き・大判焼き風のお菓子でした。
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土山宿の入口です。
これから宿場を歩きます。
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今回は写真点数が多く、1ページに収まりきれません。
この続きは、後編をごらんくださいませ。
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