東海道五十三次歩き旅3日目 平塚宿−小田原宿
2007年5月1日





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天気は快晴。今日も暑くなりそうです。
出立は朝の涼しさが残る早朝と決めています。
昔の旅人は夜明けと同時に宿を発ったといいますから、現代の旅人は朝寝坊ですね(笑)
今日は、平塚宿から小田原宿まで歩きました。
距離的には前2日ほどではありませんが、明日箱根を越えるので、ここで体力を温存しておこうと思います。
平塚駅を出発して、旧東海道は商店街を通り、やがて国道一号線と合流します。
この合流するまでの道沿いに平塚宿の見附跡や本陣跡が点在します。
そして、国道一号に合流した後は丸い形の高麗山を右手に見ながら花水川を渡り、大磯宿へと歩いて行きます。




早朝の平塚駅前を出発します。





旧東海道は駅前の商店街を通ります。





ここが江戸見附。平塚宿江戸側の出入口に当たります。





旧東海道が真っ直ぐに延びています。
当時はここに旅篭などが点在したのですね。





ここが京方見附跡。京都側の出入り口です。
広重の「平塚宿」は、この付近のロケーションを描いたといわれています。
正面の丸い形の山が高麗山です。





説明パネルを撮ってみました。





高麗山を見ながら花水川を渡ります。





国道一号線を歩いています。



当時、平塚宿から大磯宿までは29丁(3km弱)ほど。現代の旅人もほどなく大磯宿に到着しました。
大磯は、松並木と海が美しいところです。
国道一号線沿いの待つ並木は圧巻。
隷書版にも登場する「こゆるぎの磯」は、万葉集でも詠われた景勝地であったそうです。
せっかく来たのですから、少し寄り道をして、こゆるぎの磯と松林を楽しんできました。




国道一号線から外れると、ほどなく大磯宿に到着します。
ここは化粧(けわい)坂といわれる所で、当時はここを中心に宿場が発展したそうです。





化粧坂に化粧井戸が残っています。
曽我兄弟と縁のある虎御前がこの井戸の水を汲んで化粧をしたといわれています。





大磯宿の江戸見附跡です。
広重の「大磯宿」はここからの風景を描いたといわれています。





説明パネルを撮ってみました。





ちょっと寄り道をして、こゆるぎの磯に来ました。
大磯の西海岸一帯を「こゆるぎの磯」というそうです。
海がきれいです。





再び国道一号線を歩いています。
湘南の名の由来は中国にあったのですね。





大磯の松並木です。





松並木を歩いています。





緑地公園に立ち寄りました。
松林から海を見ます。





引き続き国道一号線を歩いています。





途中、「こゆるぎの浜」と書かれた標識に誘われて海に出てみました。
釣り人がいますね。





二宮町の一里塚跡です。
この付近は「梅沢の立場」と呼ばれ、茶店などで賑わっていたそうです。





二宮の押切坂を下ります。
まもなく小田原市に入ります。



大磯宿から小田原宿まで4里(約16km)と少し距離があります。
帽子を深く被り、陽射しが厳しい国道一号線を西へと歩いていくと、小田原市内に入って左手に海が見えてきます。
そして、昔は川渡しが行われていた酒匂川を渡ると小田原の市街地に入ります。
ここは、戦国時代北条氏の居城である小田原城の城下町であったところ。
かつては関東の中心的存在であっただけに、今でも当時の歴史を残しつつ、とても賑やかな街です。
本日の歩き旅はここまで。
明日はここから三島宿まで箱根越えです。



小田原市に入りました。





ここは国府津駅付近。
左手に海を見ながら歩いています。





酒匂川を渡ります。
広重の「小田原宿」では、この川の渡しの風景が描かれています。
正面に箱根の山々が霞んで見えます。





江戸口見附跡です。ここから小田原宿に入ります。





小田原では銀行ATMも瓦屋根になっています。





小田原市内では、国道一号線がカギ状にカーブしています。





小田原城址近くにある「なりわい交流館」で一休みです。





建物の中はご覧のとおり休憩所になっています。
ここでお茶をいただき、観光パンフレットなどを見て情報収集です。





小田原城址公園に到着しました。
明後日は、小田原を開いた北条氏のお祭りが行われるそうです。





ここは、小田原城址公園の銅門です。
小田原ツーデーマーチのスタート・ゴール会場でもあります。
本日の歩き旅はここまで。
明日はここからスタートして箱根を越えます。